建築家の夢(子供の頃の夢)
■ 子供の頃
私は富士山のふもと、静岡県富士市で生まれ育ちました。駿河湾の温暖な気候のなか、毎日刻々と変化する富士山を見ながら、自然の美しさと雄大さに感動しました。小学生の頃は絵を描くのが好きで、図工の時間が終わっても校門に座って、校舎を写生していた時がありました。そんな時に、うまいねと声をかけられて自信がついたのだと思います。当時は割り箸を尖らせて、脱脂綿に墨汁を湿らせて墨絵のように描いていました。 色がついているより、デッサンのような白黒の絵のほうを好んで描きました。彫刻も好きで、将来は画家のような芸術の道に進むものだと思っていました。中学になって技術家庭の授業の影響で、建築家を志す気になりました。工作の時間に大工道具をしまうような木箱を作成しました。作るのが面白かったのではなく、部材を切る為の展開図のような設計図が新鮮で面白く感じたのです。 建築家といっても、この時は漠然としていて、今思えば建築士を目指していたのだと思います。そして富士市の普通高校を卒業し、東京の工学院大学建築学科に進みました。
■ 本当のめざめ
大学は当初、工学系技術の教えが中心で、美術的なことを期待していた私にとって、何か違うところに来てしまったような、不安に駆られました。また田舎から出て初めて一人暮らしをしたので、環境の変化にもついていけず悩み落ち込む日々が続きました。 自問自答することが多くなり、このままではいけないとバイトに精を出し、世の中に積極的に関ろうとしました。そんな折20歳の時、ヨーロッパ諸国の建築を見て廻るツアーに参加しました。大学の校舎に張られた一枚の旅行案内のポスターが私の人生を変えました。この旅行は建築や芸術の学生、設計事務所対象の建築を見るための専門ツアーでした。 工学院大学からは私だけの参加でしたが、いろんな大学の参加で、今でもそのときの友人が多くいます。3週間で、ギリシャ、イタリア、ドイツ(当時西ドイツ)、スイス、フランス、スペイン、イギリス、オランダと巡り、ガウディやコルビュジエ、20世紀の有名建築、教科書でしか見たことのない本物の絵画、考えのまったく違う国々の人と出会い、カルチャーショックを受けました。帰国後、ガウディの生涯を調べ心が震えました。 なんと建築の道はすばらしく、一生をかけるに値する仕事だと思いました。しかも本物の建築家になるには困難な道だった事が挑戦心を掻き立てました。・・・まさしく子供の頃から夢描いていた芸術の道がそこにあったのです。そして、その道が厳しかろうが、一生をかけて目指す方向を見つけた私は、なんて幸せなのだろうと感じました。
■ 2回目の旅
大学4年になり、フランク・ロイド・ライトの有機的建築の研究をしていた南迫研究室に在籍しました。大学では、前半が研究論文、後半が卒業設計の2本立てです。夏休み明けに研究論文を提出する事になっていました。研究室の研究テーマを自分なりに見つけるのですが、私は「アール・ヌーヴォの建築デザインに関する研究」と題して19世紀末に起こったデザイン運動とライトの有機的建築を結びつける考察をテーマにしました。
何のことはない、そのテーマにかこつけて夏休み中ヨーローッパとアメリカを旅したかったのです。4年の夏休みは大学に張り付いて研究するのが定説だったので、理由をつけたかったのです。同研究室の友人T君と申し合わせ(彼は摩天楼の研究とか言ってアメリカへ)2ヶ月の旅に出ました。私が一足早くヨーロッパに渡り、一ヵ月半後にシカゴへ飛び再会するという手順です。私の最大の目的はバルセロナでのガウディ巡りでした。この時のルートを描き出してみると、ニューヨーク>パリ>ブリュッセル>ミラノ>ニース>バルセロナ>マドリッド>
バルセロナ>ローマ>フィレンツェ>ベネチア>ウイーン>フランクフルト>ケルン>パリ>シカゴ>トロント>ピッツバーグ>ワシントン>ニューヨークでした。学生だったからこそできた2度とできない旅です。学生時代にためたバイト代は使い果たしました。
建築家の夢(アール・ヌーヴォの旅)つづく


